随想 赤い電車
おいてかないで
赤い電車のいない世界でも、ギリギリ生きている。
私は強くなったから、赤い電車がいなくても生きていける。
あの頃は赤い電車がいなければ生きられなかったというのは、私が強さを得た結果もたらされた認知の歪みで、結果的に今日まで生き抜いている(あの頃を生き抜いた)ことと直接的な関係はない気がするの。
そもそも「あの頃」と言う枠組み自体が後付で、まあリアルタイムで現在のことをあの頃なんて言わないのはもちろんだし、あの頃も別に「この頃」とは思っていなかったさ。
「あの頃」って頃が赤い電車を失った寂しさを今に持ち込まないための方便として定義づけられて、ちゃんと機能してるならさ、それでよくない?
疑わしいね。本当はね、置いてかれるのがこわいの。みんな私を置いてどこかへ行ってしまうから。
例えば、誰かといてもね、私がこけても歩みを止めてくれないんじゃないかって思えて。
私のことを置いてかないで。どうしてみんな、私を置いてどこかへ行くの。ずっとそばに居てほしい…けど、本当にずっとそばに居られるとうっとうしいから時々どっか行っててほしいんだけど。